昔の同期だった人とごはんに行った。

旧知のオタクや学部の同期ではないので、悪目立ちしないように眉毛を整えて前髪をヘアスプレーで固めて眼鏡もきれいな眼鏡をかけていった。同期であった間は話すことがほぼなかったので今更会うのも変な感じだが、邪悪なジョークがウケて割かし楽しんでもらえたようだったので良かった。実際には、次にアポイントを取ろうとしたときに渋られるかどうかが答え合わせになるのだが。

邪悪なジョークというのも、「出会いがなく着実に床のシミ・浴槽の汁に近づいている」というものだった。飛躍しすぎているといわれた。

 

大学生というと恋人との出会いはだいたいサークル、バイト先、同期のどれかで、その人もそうらしかった。人が集まるといろいろおこるものですよね。

分子みたいにランダムに動いて衝突して いいやもうこういうことは

ツイッターはもうやめます。ひねた人に囲まれてもろくなことがない。

 

コンビニにメルカリの発送にいって帰ってきてると道に誰もいなかった。東京でもこうだとよいな。夜更けでも道に人がいたらくるってしまう。

 

おわり 書く気失せた

20220718-0

眠れなくてベランダを覗いてたら一回生の頃を思い出した。あの時はまだ夜ふかしが癖になってなくて、2時まで起きているだけでも異常事態だったと思う。深夜になれば外は静かだから、名古屋からの貨物便が京都の上を過ぎるのが音でわかった。暗闇の中でスマホを取ってradikoを開き、無意味に日が昇る時間を聞いて、自分が不眠に苦しんでいる今、どこかでは夜が明けているんだなとか思っていた。ツイートしたら割と反応が良かったことを覚えている。今やそういうポエミーなツイートをする度胸がない。3時でも眠れなくなっている。

20220629

うまくいってもいかなくてもこの町にいるのは残すところもう一年を切った。
西から少しずつ移動してきて思う。街を出たら最後、自分が思っている町から変わってしまうという。どのタイミングから変わってしまうか突き詰めれば背を向けた瞬間まで辿れるかもしれない。(素朴実在論?!月が見えなくなったら月は存在しない!)帰省しても自分が思い描いていた風景は失われている。悲しいかな、懐かしの町を訪れるとか不可能なのだ。(本当に悲しいことなのか?)
古本屋では通俗的な雑誌やビラはおかれていないか、おかれていてもせいぜい100円くらいで安売りされている。誰も保存してくれないからむしろこういうどうでもいい印刷物のほうが保存価値がある気がしてきた。
店もそうだ。ダイコクドラッグをはじめとする数々の店たちが百万遍で散っていった。(まずいらしいラーメン屋を除く)
誰も記録しないだろうから去年撮っておいた。これ「喪」な気がしてきたぞ。


体言止めするとクサいエッセイになってしまう気がするのでどうにか一文になるように修正をかけたい。自由連想だしそういうの気にしてもしょうがないか。GoProほしい。日常的に通っている道をすべてそのまま記録してしまおうかと思っている。

20220628

急に夏になった。帰ってきてから手を洗うと水がぬるい。パルムを食べながらこれを打っている。間違った。ピノの中に「パルム」という書き込みがあってそれに引っ張られた。食べているのはピノだ。
ピノも昔に比べて小さくなった。自分が成長するにつれて物が小さく感じられる。いや小さくして実質値上げしただけだろうな。


こういう時期、夏の夕方、7時を過ぎても日がまだ出ている季節になると思い出すことがある。小学校から帰ってきて、家で夕方特有のニュース番組を見ていた。キッチンで母親が煮魚を作っていて、しょうゆのにおいが漂ってくる。そのころはまだ魚の煮つけは好きじゃなかった。夕飯ができるころになると決まって父親が帰ってきていた。匂いでタイミングを見計らって帰ってきてるんじゃいかとか言っていた。
やけに平和な光景だ。でも実際は平和だったはずはない。取り巻く環境はいつでも平和じゃなかったはずだ。小学生だったから何もわかっていなかっただけだ。家と学校が生活圏であって、見えている範囲はそれだけだったから平和に見えただけだ。
いやそうだったのか。平和なのも殺伐とした世界も同時に存在しているはず。同時に存在しているというかひとつのものの別の面だというだけだろう。同じものが別に見えているだけ。院試で殺伐としているのと誰かの平和。

 

let's noteの中古品を買った。これを打つのに使っている。1kgを切る超軽量端末なのでいろいろなところに雑に持っていく物書き専用端末とするつもり。思ったより違和感なく使えている。CF-SV6、2016年発売らしい。まだ高1だった年か。

 

どうせ口語体で書いた文章は後から読めたものじゃないだろう。でも書き残さないとすべて忘れてしまう。

202102/202103/202104

みたもの

分離派建築会100年 建築は芸術か?

分離派建築会100年 建築は芸術か?|京都国立近代美術館 | The National Museum of Modern Art, Kyoto

 

MoMAK第4回コレクション展

2020年度 第4回コレクション展|京都国立近代美術館 | The National Museum of Modern Art, Kyoto

 

2020年度京都市立芸術大学作品展

2020年度京都市立芸術大学作品展 | 京都市立芸術大学

京セラ美術館と市立芸大の両方に行った

 

INTERIM SHOW 2021

上作品展と同時開催の博士後期の院生による展覧会。5Fの展示を見忘れてZhdanova Alinaさんの作品だけしか見れなかった。

 

 

 

 

西洋哲学史―古代から中世へ (岩波新書)

西洋哲学史―古代から中世へ (岩波新書)

  • 作者:熊野 純彦
  • 発売日: 2006/04/20
  • メディア: 新書
 

 p8 反復はちいさな反復を無限に含んでうつろうものを高次から見て移ろわないものを見出す

 

 

美/学

美/学

 

 美という感覚的なものをいかに知的営為である「学」とし扱うか。

美が感覚的であるからには、美を感じる際には感覚の対象が存在しているが、実際の対象から「美」を別の物として切り離して語ることができるのかというのがまず問題となる。

ダダイスム フィードラー プロティノス エネアラス

プラトンの『国家』によるイデア→実物→絵という模倣の連鎖を根拠とした絵を劣ったものとする考え

プラトン主義

音楽(当時は文芸舞踊含む)は自由七科といって特別扱いされていた

クルーザ バトゥ 合理主義 理性

デュボス ディドロ 経験主義 感情

ヒューム、ロックの思想について 濱下昌宏『18世紀イギリス美学史研究』

ショウペンハウエルの音楽観 音楽は意志を直接表現する 『意志と表象としての世界』

フィードラーの芸術論 『芸術活動の根源』『フィードラー芸術論』

井面信行『芸術活動とその形象物』 当津武彦編『美の変貌』 米澤有恒『芸術を哲学する』 神林・太田・上倉『芸術学フォーラム1芸術学の軌跡』

フェヒナーの実験美学

リップスの感情移入

リップス『美学』、『世界大思想全集』102 ウーティッツ『美学史』

クローチェ『美学』 今道友信編『西洋美学のエッセンス』 直観は知性とは独立

ハルトマン『美学』 前景と後景

ガイガー 外的集中、内的集中(べつのところでは外方、内方とかいてあった)

ハイデガー『芸術作品の根源』 芸術作品は道具モデルに由来する「質料ー形相」では説明できない 谷徹『これが現象学だ』

バタイユ『ラスコーの壁画』 「わたしたちが存在しているのは、(ry」 『至高性』 酒井健バタイユ入門』

エーコ『開かれた作品』 篠原資明『現代思想冒険者たち29 エーコ

ダントー 金悠美『美学と現代美術の距離』

コジェーヴ マーラー シェーンベルク

ウィトゲンシュタイン全集』10

ハル・フォスター編『視覚論』

アルパース『描写の芸術』

柳宗悦『工藝文化』 用の美 雑器の美

Welsh 『感性の思考』 無感性化

Aaron Smuts, "Video Games and the Pholosophy of Art"

CHris Crawford, The Art of Computer Game Design

生活美学 Yuriko Saito, Everyday Aestheics

ダントー『芸術の終焉の後の芸術』

シンシア・フリーランド『でも、これがアートなの?』

松井みどり『アート:"芸術”が終わった後の”アート”』

 

 

西洋美術史ハンドブック (ハンドブック・シリーズ)

西洋美術史ハンドブック (ハンドブック・シリーズ)

  • 発売日: 1997/06/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

http://ds.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~fujikawa/04/bs/bs02.htm

http://ds.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~fujikawa/04/bs/bs03.htm

http://ds.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~fujikawa/04/bs/bs04.htm

bs01~14まで

フォシヨン『形態の生命』単純な図式化を避ける指摘に富む

ジョージ・クブラー『時間の形』フォルマリズム批判

エドガー・ウィント『芸術と狂気』フォルマリズム批判

ノーマンブライソン『ヴィジョンの絵画』政治社会文化の場から生成されるものとしての作品

 

フィードラーの芸術論について

http://plaza.umin.ac.jp/philia/education/thesis/2018_terao.pdf

 

ci.nii.ac.jp

 

 

オイラーラグランジュ方程式を丁寧に

オイラーラグランジュ方程式でありえんしょうもないところで詰まっていたので、丁寧に導出を書いてみます。 
詰まる人おそらく少ないけど、詰まったら抜け出しにくいかも

 

僕がまず引っかかっていた/引っかかっている点は2つ

  • なぜ q\dot{q} が独立のように見えるのか
  •  なぜ L q \dot{q} の関数なのか

なぜ q\dot{q} が独立のように見えるのか

 おそらく引っかかっていない人にはなぜ引っかかるのか理解できないと思います。

こう書けばおそらく数式で理解できると思います。

f:id:x_gh_float:20190510150622p:plain

1行目から2行目は変分と積分の交換、4行目から5行目は変分と微分の交換を用いています。

たいていの文献だといきなり5行目を書いているので、 \delta q \delta \dot{q}を別々に動かしているように見えるんですよね。

実際は単に q q+\delta qを代入して、微分の線形性を使って別々に描いているだけです。

5,6,7行目は単なる全微分だと思っていますが、ここで詰まる人もいるという記事を見ましたので書いてみました。別々に動くようだけど全微分なのでおk。

 

 なぜLが q\dot{q}の関数なのか

\ddot{q}q\dot{q}で表されるので運動を決定するLもこれら2つを与えればよいはずだと理解しています。

 参考にしたもの

togetter.com

 

数式入力に使ったサイト